デザイン・・・岡本太郎 1970
大阪府吹田市千里万博公園
『歓喜』岡本太郎 二玄社 MEGALOMANIA経由「太陽の塔が作られた頃は、高度経済成長の絶頂で、日本中が進歩、GNPに自信満々の時代だった。そこへ万国博。恐らく全体が進歩主義、モダニズム一色になることは目に見えていた。そこで私は逆に時空を越えた、絶対館。馬鹿みたいに、ただどかんと突っ立った「太陽の塔」を作ったのだ。現代の惰性への激しい挑みの挑戦として。」
太陽の塔は建築という定義から外れてしまうかもしれないけれど、まいいや。
その万博のモダニズムの遺構→鉄鋼館 前川國男
太陽の塔を見た後、行ったところ。
国立国際美術館(旧館) 川崎清
光の教会 安藤忠雄
大阪万博から35年、巡り巡り日本の愛知で再び万博がやって来ます。
しかし昔と今は環境が違うのです。愛知万博に夢があるのかは、なんともいえない。