築城者・・・豊臣秀長
和歌山県和歌山市一番丁3番地
天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一後,弟の秀長に命じて和歌山城の築城をはじめました。普請奉行には藤堂高虎・羽田正親・一庵法印が任命されました。しかし,築城当時の規模等についてはよくわかっていません。
・・・(中略)・・・
元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城,城郭の大改修があり,徳川御三家の居城として,250年に渡り紀州徳川家治政の基を開きました。かくして和歌山城は西国第一の要衝として,その偉容を誇りました。
・・・(中略)・・・
昭和20年7月9日,不幸にして戦災を蒙り,その英姿を一夜にして焼失してしまいました。戦後10余年を経て,再び郷土の象徴として和歌山城再建の気運が高まり,各方面からの支援と協力を得て,昭和33年10月竣工式を行うに至り,再び虎伏山の空高くその雄姿を誇っています。