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›7 25, 2005

南海電鉄浜寺公園駅 辰野金吾

設計・・・辰野金吾 1907
大阪府堺市浜寺公園町2-188 (MAP

Hamadera park sta.

駅前の石碑より
浜寺公園駅は、明治40年(1970年)我が国近代建築の元勲といわれた、東京帝国大学工科大学学長、辰野金吾・片岡安博士設計により建てられた洋風木造建築物である。
屋根の正面に見えるトーマ窓(屋根窓)や、柱の骨組みを壁に埋めず装飾模様として活かすハーフチンバー様式(木骨真壁造り)、また、鹿鳴館の二階ベランダ部分に用いられた柱と似た玄関柱が特徴である。
私鉄最古の歴史ある明治の駅として、地元をはじめ多くの人々から親しまれ、日本建築学会など学術的にも高く評価されている。

南海電鉄浜寺公園駅

駅の出口を出てまっすぐ10分ほど歩けば浜寺公園。浜寺公園は、明治時代日本で初めての公園の指定を受けた公園。

南海電鉄浜寺公園駅

柱などに使われている水色と赤色の屋根が、今時とはいえない。
駅前にはスーパーもコンビニもなくただマンション一つが建っていて、周りは木造の住宅街、商店が少し並ぶ。一昔前の雰囲気が漂っている。

南海電鉄浜寺公園駅

南海電鉄浜寺公園駅

昔使われていた改札口(?)。

南海電鉄浜寺公園駅

夏休みの昼間、この駅の利用客の半分以上は子供達だ。彼らの目当ては絶対プールに違いないんだ。電車が着くたびに、ビニールのカバンを持ったちびっ子がわんさか降りてくる。
以前まで浜寺ジャンボプールがあったのだけど、潰れたらしい。彼らは浜寺プール(府営)行きだ。

Landolt ringwaiting room #1waiting room #2←駅内の待合室。

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title:紹介>南海電鉄の駅舎
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from: 鉄道のある風景weblog
date:2006.07.02
コメント

こんにちは。
久しぶりの更新で、懐かしいところがUPされていたので、コメントさせてもらいます。
浜寺までは自転車圏内でしたので、電車を利用したことは無いのですが、こんな感じの駅だったなあと思い出しました。
まわりもあまり変わってないんですね、ちょっと嬉しいです。 

popiko at 2005年07月27日 20:55

コメントありがとうございます。
僕も小さい頃何度か誰かに連れられて来た事があって、その頃の駅と公園周辺の雰囲気は、ほとんど変わってないと思います。
ちなみに、浜寺公園一番のお気に入りの遊具は、タコの滑り台でした。

pan-o at 2005年07月28日 23:21

 初めまして、「浜寺公園駅」で検索していてここにたどり着きました。
余計なお世話かもしれませんが、駅前の石碑の文の中で、
「浜寺公園駅は、明治40年(1970年)・・・」となっていますが、「1907年」ではないでしょうか。

私は2006年8月25日にここを訪れ、阪堺電軌の駅舎とともにその雰囲気を楽しんできました。

れい at 2006年08月31日 00:54

れいさんコメントありがとうございます。

明治40年が1970年であるはずがないですよね。石碑の文が間違っているのが、可哀相でたまりません。

pan-o at 2006年09月03日 00:23

高架化工事の中に浜寺公園駅舎、諏訪ノ森駅舎を現地で歴史遺産として再生するよう呼びかけています。ご支援いただければ幸いです。

明治建築研究会 at 2007年03月13日 04:05

明治建築研究会さんコメントありがとうございます。

つまり、今地上を走っている南海本線が高架化される事で、現在のこの駅舎が必要なくなってしまう訳ですね。

前々から高架されるという話はあったみたいですけど、いつごろ高架されるのでしょうか?もっと詳しい情報お願いします。

諏訪ノ森で降りた事が無いので何とも分かりませんが、私思うに、浜寺公園駅は何かしら残りそうな気がします。近くに浜寺公園もあるので、そこに移築しそうな気がするのですが(根拠はない)。

pan-o@高野線 at 2007年03月17日 23:51

返事ありがとうございました。両駅舎とも残す方向で進められているようです。しかし、地元の多くの人は現地で駅舎としての価値を生かした保全再生を求めています。歴史建築は環境も含めて残さなければ意味はありません。ご支援お願い申し上げます。詳しくはINで『明治建築研究会』を検索いただければ幸いです。

明治建築研究会 at 2007年04月08日 15:20

4月16日に両駅舎建築の現在地での保全活用について関係方面に正式に要望書を提出します。ご支援くだされば幸いです。

明治建築研究会 at 2007年04月10日 17:29

 浜寺公園駅舎の施工業者名を一部の評論家などは、大林組などと言っているが、事実を知らずに講評をするなどもってのほかだ。
事実駅舎内に【越中組】と書かれた物も残っているよ。

施工業者の子孫 at 2007年08月15日 17:11

ご意見有難うございます。 浜寺公園駅舎の施工業者については分かりません.越中組について分かればご
教示くだされば幸いです。小生は、小屋裏などの骨組みを見せてもらい浜寺の捕虜収容所の木材を転用しているのではないかと推測しています。よろしくお願いします。

明治建築研究会 at 2007年09月07日 20:10

 明治建築研究会さん、ご返事ありがとうございます。
小生は、越中組の孫にあたる者でありますが、亡父や叔母などから祖父の話しを聴きました。
越中組は明治〜昭和初期に泉州地域で事業を営んでいた総合建築業で、浜寺公園駅舎や泉北郡忠岡町の旧東洋紡積忠岡工場新築工事や滋賀県内旧江若鉄道の路線工事など数々の工事を手掛けたが、祖父一代かぎりで解散しました。当時の写真は少し残っていますが、残念な事に浜寺公園駅舎の写真や建築に係わる物は残っていません。

施工業者の子孫 at 2007年09月10日 11:22

とてつもなく遅れたコメントで恐縮ですが、浜寺公園駅舎の施工業者について。
確かに、多くの書籍で"?マーク"とか""推定の注釈付き"ですが施工は大林組とあります。
本日、別件で大林組歴史館へ行くことがあり、その折本件大林組の方に調べていただきました。
大林組の施工実績データベースの中に、「 浜寺公園駅舎」ないとのことでした。

agen at 2011年10月07日 20:54
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