真言宗泉涌寺派
兵庫県小野市浄谷町2094 (MAP)
浄土寺浄土堂(国宝)浄土寺は、俊乗房重源上人(しゅんじょうぼうちょうげん)により、東大寺領大部之荘(小野市中心部で加古川東岸地一帯)内に建てられた。このお堂は、重源上人が入宋して学んだ「天竺様」という建築技法を用い、建久五年(1194年)に上棟された。
天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴がうかがえる。東大寺南大門とともに「天竺様」を伝える貴重な建物で、お堂としては、わが国唯一のものである。
浄土堂内にある阿弥陀如来像は西を背に東を向いて安置されている。このお堂は浄土寺境内の中で最も西側に位置していて、夕方になると開けた蔀戸から入る夕日が、像の姿を浮かび上がらせ、まるで極楽浄土のような空間になるという。
太い柱に、立体的な肘木、ダイナミックなのだけどシンプルなつくりは、奈良時代の寺院だなと個人的に思うのです。
浄土寺薬師堂(重文)建久八年(1196年)に上棟されたと伝えられているが、明応七年(1498年)に焼失し永正十四年(1517年)に再建されている。随所に天竺様が用いられているものの、ところどころに和様唐様がみられ、和・唐・天竺様の折衷形式といえる。近世においては、主格的建築として扱われ、本堂とよばれていた「浄土寺縁起」によれば、荒廃したままとなっていた廣渡寺(浄土寺西方2kmに位置する国史跡広渡廃寺跡)の本尊であった薬師如来坐像を薬師堂に移し、本尊として安置したと記されており、その関係が注目される。
浄土堂に対して伽藍の反対側(東側)に建つ薬師堂です。